Facebookで行われているのは「日本的」コミュニケーション
本日の日経朝刊の社説はいいですね。
「フェイスブック上場と新産業創出の道筋 」と題して、的確に書いてます。
>>一つは新奇なものをいたずらに排除せず、懐深く受け入れる社会の厚みではないか。ベンチャー企業はそもそも未熟な存在であり、また従来にないサービスや技術に挑戦することから失敗も多く、行き過ぎもある。
>>フェイスブックの場合も、出発点は女子学生の美人コンテストといういささか問題の多いサービスだった。近年も個人情報の管理をめぐって、米当局の調査対象になったこともある。
>>だが、誤りを是正すれば、企業として命脈が断たれることはない。新人の失敗に寛容な米国の社会風土が、有力ベンチャー企業が次々に台頭する背景にある。
記事にある、日米の「新産業=ベンチャービジネス」の土壌の違い、は現状そのとおりでしょう。 上場時の時価総額は、Googleを抜いて米インターネット市場最高額とのことです。
このFacebookについて竹村的に思うところを少し書きます。
Facebookで行なわれていることは、実は「日本的」コミュニケーションだ、という事です。 友人が、どここで何してて、何食べて、今日何を思った、みたいな話は日本人は大好きです。横並び意識が強い、基本「ミーハー」な民族ですから。
ただ、海外、少なくとも「欧米」というのは、比較でいうと「人は人、俺は俺」という国民性です。 なのに、このFacebook的コミュニケーションが世界に拡がっていくんですね。
そこには実は、 Facebookは人間の「本能的欲望」がベースになって生まれている という点が大きく寄与しているのではないか、と考えています。 「美人女子大生コンテスト」という「本能的欲望」ですね。
そして、ここまで「本能的な欲望」というのは、国民性等超えて、全世界共通なのでしょう。 こう改めて考えてみても、Facebookのコミュニケーションは「日本人的」です。 このサービスが「日本発」にならなかったことは残念ですね。
本日はここまで。