ソーシャルの源流はファミコン!?ゲームを「大人のもの」にしたのもファミコンです
竹村義宏のフランチャイズBlog
おはようございます。
本日の麻生財務大臣の会見にはちょっと注目している、竹村です。
NHKの「おはよう日本」でやってましたが、
「バレンタイン商戦」
は盛り上がっているようで。
竹村は知りませんでしたが、
独身女性がチョコをあげる相手は?のアンケートで、「彼」は3位。
1位は女友達で、2位は父親(家族)
とのことです。
「そりゃ1位は女友達、トモチョコでしょ」というのは世間の常識、のようで。
知りませんでした。
「バレンタイン」も「時代」で変わっていくわけですね。
「時代」で「人の気持ち」が変わり、「人の行動」が変わるので、
当然ながら、それに合わせて「商売」も変わっていくわけです。
バレンタインも、「恋愛」から身近な人に「感謝」の気持ちを表す日に変わってるんですね。
・・・
ということから、昨日の日経本紙朝刊記事から。
>今起きていることには出発点がある。源流をたどると断面が見えてくる
というこの連載は面白い。
昨日は「ゲームビジネス」。
その出発点は「任天堂」ですね。
> 「任天堂はゲームビジネスの礎を築いた」。86年の「ファミコン通信」創刊にかかわった雑誌出版のエンターブレイン社長、浜村弘一(51)は指摘する。人気は攻略法など「裏技」を読者が投稿するコーナー。隔週で雑誌が出るたび3千~4千通が東京・南青山の編集部に届いた。
ありましたね~。ファミコン通信。
> 利用者同士がつながる「ソーシャル」の芽はすでにファミコンにあったのかもしれない。
>「友達の家で裏技を自慢し、雑誌で情報を交換する。ゲームがコミュニケーションの場だった」
そうなんでしょう。
そして、
>東京・三鷹市に住む小学生だった田中良和(35)もそんなファミコン少年のひとりだった。「将来ゲーム会社に就職しよう」。漠とした思いは2004年、形になる。
田中社長は、竹村より約10歳若い世代です。
正直、竹村の世代には、
「将来ゲーム会社に就職しよう」
なんて奴はいませんでした。
竹村が就職する時にはまだ「ゲーム業界」なんて括りはなく、
任天堂は「おもちゃ業界」の括りでした。
「おもちゃ業界」から枝分かれした、「ゲーム業界」はそこから巨大市場になるわけです。
この記事には書いてませんが、もっと重要なことがあります。
それは、
「ファミコン」はゲーム」家族のものにしただけでなく、
「大人のもの」にもした
ということです。
これはとてつもなく大きなことです。
それによってどれだけ市場が拡がったことか。
竹村の世代はまさに、任天堂の第二の創業(花札屋からゲーム会社へ)とともに育ちました。
中学校でゲームウォッチをして、高校でファミコンへ。
今思えば、大学になってもゲームに狂ってる奴、がかなりいました。
でも当時は、
「大学になってもゲームをやっている幼児性」
みたいな捉え方が主流でした。
大学生になっても「子どものまま」なのではなく、
ゲームが進化して「大人のもの」になっていく、
そんな潮目の時期だったんですね。
本日はこんなところで。
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