竹村義宏のフランチャイズBlog

フランチャイズ業界30年これまで50を超えるFCに携わった竹村のブログ。2015年5月FC2から引っ越し。

フランチャイズ業界30年 FC専門家の情報発信。
竹村義宏公式ホームページ www.fc-takemura.com



ソーシャルの源流はファミコン!?ゲームを「大人のもの」にしたのもファミコンです

竹村義宏のフランチャイズBlog
おはようございます。 本日の麻生財務大臣の会見にはちょっと注目している、竹村です。 NHKの「おはよう日本」でやってましたが、 「バレンタイン商戦」 は盛り上がっているようで。 竹村は知りませんでしたが、 独身女性がチョコをあげる相手は?のアンケートで、「彼」は3位。 1位は女友達で、2位は父親(家族) とのことです。 「そりゃ1位は女友達、トモチョコでしょ」というのは世間の常識、のようで。 知りませんでした。 「バレンタイン」も「時代」で変わっていくわけですね。 「時代」で「人の気持ち」が変わり、「人の行動」が変わるので、 当然ながら、それに合わせて「商売」も変わっていくわけです。 バレンタインも、「恋愛」から身近な人に「感謝」の気持ちを表す日に変わってるんですね。 ・・・ ということから、昨日の日経本紙朝刊記事から。 >今起きていることには出発点がある。源流をたどると断面が見えてくる というこの連載は面白い。 昨日は「ゲームビジネス」。 その出発点は「任天堂」ですね。 > 「任天堂はゲームビジネスの礎を築いた」。86年の「ファミコン通信」創刊にかかわった雑誌出版のエンターブレイン社長、浜村弘一(51)は指摘する。人気は攻略法など「裏技」を読者が投稿するコーナー。隔週で雑誌が出るたび3千~4千通が東京・南青山の編集部に届いた。 ありましたね~。ファミコン通信。 > 利用者同士がつながる「ソーシャル」の芽はすでにファミコンにあったのかもしれない。 >「友達の家で裏技を自慢し、雑誌で情報を交換する。ゲームがコミュニケーションの場だった」 そうなんでしょう。 そして、 >東京・三鷹市に住む小学生だった田中良和(35)もそんなファミコン少年のひとりだった。「将来ゲーム会社に就職しよう」。漠とした思いは2004年、形になる。 田中社長は、竹村より約10歳若い世代です。 正直、竹村の世代には、 「将来ゲーム会社に就職しよう」 なんて奴はいませんでした。 竹村が就職する時にはまだ「ゲーム業界」なんて括りはなく、 任天堂は「おもちゃ業界」の括りでした。 「おもちゃ業界」から枝分かれした、「ゲーム業界」はそこから巨大市場になるわけです。 この記事には書いてませんが、もっと重要なことがあります。 それは、 ファミコン」はゲーム」家族のものにしただけでなく、 「大人のもの」にもした ということです。 これはとてつもなく大きなことです。 それによってどれだけ市場が拡がったことか。 竹村の世代はまさに、任天堂の第二の創業(花札屋からゲーム会社へ)とともに育ちました。 中学校でゲームウォッチをして、高校でファミコンへ。 今思えば、大学になってもゲームに狂ってる奴、がかなりいました。 でも当時は、 「大学になってもゲームをやっている幼児性」 みたいな捉え方が主流でした。 大学生になっても「子どものまま」なのではなく、 ゲームが進化して「大人のもの」になっていく、 そんな潮目の時期だったんですね。 本日はこんなところで。 「人気ブログランキングに参加中! 現在20位~30位台をウロウロ。 もうひと押し、ワンクリック!お願いします。
人気ブログランキングへ その後の「世界」を変えていトンデモナイ機械でした。
ファミコンの思い出ファミコンの思い出
(2012/05/29)
深田 洋介

商品詳細を見る