所得格差是正と「プア充」人気にフランチャイズを考える
竹村義宏のフランチャイズBlog
こんにちは。
本日はもうひとつ一言いっておきたい、という記事がありまして二度目のUP、竹村です。
所得格差是正 最大に 税や社会保障で再分配 11年、3割超す
もしかしたら、見出しだけではこの記事の意味がわからない方もいるかもしれない、と思います。
あまりこの視点からの記事を見かけませんので。
「ジニ係数」は常に注目されますが、それは格差の拡大にのみ。
それを「格差是正」へのコストにからみた記事です。
思えば、今回の消費税の値上げの議論を聞いていても、
「消費税を上げる=庶民、低所得層イジメ」
と、単純にらえられている点はやや理解が出来ません。
消費税というのはお金を沢山使う人から税金を多くとって、稼ぎが少なくてお金を沢山使えない人に再分配する(社会保障という形でわける)、というものです。「所得の転移」です。
ですから、そういう意味では、お金を使えない低所得者層が消費税UPを歓迎し、金持ちはUPに反対のはずなのです。
ところが、日本ではずっとブレなく庶民の味方という共産党なんかが「消費税UPなんて低所得者に餓死しろというのか!」という言い方をするわけです。おかしな話です。
今、アメリカでは、国民皆保険に近い制度を取り入れる「オバマケア」に対して共和党を中心に「反対」がかなり出るわけです。
アメリカでは低所得者層はカネがかかるので医者に行けず、かなり悪化してからいくので余計に医療費が膨らむという矛盾。それであれば、誰でも医療に関して最低限の「保険」は使えるようにしよう、という日本人なら99%の人が賛成というか「当たり前」だと思うことに、半分の人が「反対」するのです。
税金をほとんど払っていない人が、医者に言って「3割負担」ですむということは、誰かが7割を負担しているわけです。
そんな「所得の転移」は100%正しいのか?ということです。
そんな感覚が日本人には薄すぎる気がします。
低所得層が拡大することにより「所得格差」が拡がっても最低限の社会サービスを維持する、ということは、そこにお金がかかるわけです。
となれば、「低所得者層」はもっと格差が拡がって=金持ちが儲けて、税金をどんどん払ってくれた方がいいわけです。金持ちが税金を払い続けてくれれば低所得者でもなんとか生活できるからです。
それを「自分たちだって好きでこうなったわけじゃない、悪いのは世の中だ」と言われたら、唖然とします。
そういう意味から、今話題の「プア充」も相当に困ったもの、だと思っています。SAPIOの最新号の特集を読んでさらにその思いが強まりました。
著者の島田さんは「葬式はいらない」という著書が3年くらい前にかなり話題となり売れました。
当時「葬式に金をかけない」という考えにはナルホドと思いましましたが、「世帯年収300万こそ幸せだ」と説くこの「プア充」には賛同できません。
確かに資本主義経済における「競争と勝ち負け」をある一面からみて否定すれば、この考えに至ることはわかります。が、頑張って(仮に無理してるとしても)競争している年収800万の男より、年収300万円の男を選んだほうが幸せ、という世の中になってくる、となると「それはおかしいでしょ」と言わずにはおれません。
万年Bクラスのチームが、優勝なんて、上へいこうなんて目指さなければ、負けても気がラク、野球は楽しいというようなもので、それは草野球の世界であり、お金はもらえません。
「low-price」と「cheap」の区別もつかないような感覚で、「物欲社会」の行き過ぎを否定した、質素で簡素な「清貧」な生活なんておくれるわけはない、と思いますね。
「poorで充実」とその昔、中野孝次が唱えた「清貧の思想」とは似て非なるものです。
そんなことを考えながら「フランチャイズ」について思うわけです。
フランチャイズのもつ一つの大きな価値は、都会で流行っている商品・サービスを地方でも買える、受けられるようにするものです。それは「多少価格が高くても」需要を喚起します。
10年以上前、タリーズコーヒーのFC展開の際に、結構言われたのは、この地域じゃ、ただのコーヒーに400円は出さないよ、なんでサンドウィッチが380円もするの、というようなことでした。
確かに景気は良くない時期でしたので、とくに「地方では」と思われたのでしょう。
でも、結果的にタリーズのFCの収益ランキングでは地方店舗が上位を占めました。
それまで地方ではなかなか飲めなかった本格的なコーヒーは多少高くても、歓迎されたのです。
毎日飲むわけでない、でも週に1回はたとえ100円、200円高くても美味しい物が飲みたい、という方が沢山いたのだと思います。
そういう意味で、「フランチャイズ」というのは、「新しい価値」を提供することは、ひとつの使命だと思うのです。今までよりも「もっといい」という付加価値を創造し、そこにお金を使ってもらう、というのは大切なことだと思うのです。
それに対して、「プア充」は「お金を使わない幸せ」の価値を提唱するわけです。
果たしてこれでいいんでしょうか?
確かに幸せ感はお金ではありません。
金持ちで不幸な人も沢山います。
ただ、一応個人的な見解、とことわった上で書きますが、
「お金というのは自由の象徴」
であることは間違いないと思います。
お金があれば色々選べる。
お金が無ければ選択肢はない、のです。
発泡酒しか買えないで発泡酒は旨い、というのと、
ビールも旨いけど発泡酒も随分旨くなったね、というのは根本的に違う、はずです。
「選択肢」とはそういうことです。
ここまで言っても、「選択の自由なんていらないよ」「自由なんてあるから迷うんだよ」と言われれば、
「考えないでいいからラクですかね。」
とでも適当に答えてうっちゃっておく、しかないと思います。
ただ、いくらなんでもそんな人がどんどん増える、半分以上になる、なんてことはないと思うのです。
簡単に書くつもりがついつい長くなってしまいました。
あまりこういうものはブログには書きません。
通常はメルマガの「編集後記」なんかで書いています。
今週はメルマガが特別版で「編集後記」がないので、こちらに書いてみました。
本日はこんなところで。
プア充 ―高収入は、要らない― (2013/08/23) 島田 裕巳 商品詳細を見る |