明光義塾の「YDK」はタテマエ、ホンネをつく「サボロー」に拍手!
竹村義宏のフランチャイズBlog
こんにちは。
新国立競技場の白紙撤回については驚きですね、竹村です。
まさかもう一度ゼロベースからになるとは…
安藤忠雄氏の「オレは知らねーよ」という無責任発言によって、誰もが「私も知らん」と言いやすくなりました。で、今回の件は決めることにも動くことにも誰も責任をもっておらず、ただ「空気」で事が動いていたという事実が一気にバレた、ということですね。極めて日本的であり、それが悪い方に出た、という例です。
でも今回の動きの発端は東京都の舛添知事と下村文科大臣との会談ですね。マスコミPR好きなお二人がパフォーマンスを意識した発言をしあって、結果あそこで舛添さんが「役人の言われるまま500億なんて負担しない!」と言い切ったことから、問題化したわけですから。そこから考えれば、舛添さんが「日本人的事の進め方」を嫌った、ということで功績といえば功績です。
ただ、個人的には………あの新国立競技場は見たかった、という気持ちもありますね。森元首相のように「2500億くらい国が出せ」とまでは思いませんが、何とかする方向、アイデアはあったと思うのに少し残念です。
この件についてはもっと書きたいことがありますね。長くなるのでこの続きは明日のメルマガの編集後記にでも書きます。
で、本日のテーマはサボローです。
今かなり話題になっている明光義塾のキャラクターです。知ってます?
こんなやつです(笑)。
なかなかシュールで魅力的(笑)。
これはヒット、ですね。
竹村的に何を評価するか?といえば、この「振り切り感」ですね。
振り切り感。これだけじゃ何だかわかりませんね。
要は、
明光義塾はデキる子のための進学塾じゃなくてデキない子のための補習塾ですよ
というメッセージを思い切り伝えてる、ということです。
この部分、なかなか潔くできないところなのです。
明光義塾は少し前から「YDK」という単語を使い始めました。
YDK=やれば・デキる・子
です。
これは言うまでもなく、スクールIEの「やる気スイッチ」に対抗する考えから出てきたものだと思います。
まぁ、悪くはないんですが…ちょっと違う、とずっと思ってました。
この唄、聴いてみてください。
確かに、よくデキた唄です。
でも、違うんですよね。竹村としては大いに違和感がある。
やればできるのにやらないのは
やればできるのに出来ないのは
勉強のしかたを知らないから~
よく言われることですがね。
自分はやればできるってうすうすわかっちゃいるんだけど・・・
本当にそんな子たくさんいますかね?このあたりからかなりアヤシイ(笑)。
そして…
本当はみんな、やれば出来る子
唄の歌詞としてはこれでいいんでしょう。元気づけられます…しかし、多くの親も子もそうは思っちゃいない、と思いますよ(笑)。
いや、正確に言えば、「オレはやればデキる」と思ってる子もいるにはいます。うちの子は「YDK」だ!と思っている親もいます。
が、それはそんなに多くない、と思います。
だから、そこをターゲットにするのはどうなのだろうか?と常に違和感を感じていたわけです。
それに比べて、このサボロー!
これはまさに進学塾ではなく、個別指導の補習塾に通うべき生徒の状況を的確に表現しています。
「やればデキるのに勉強の仕方がわかっていない」という悩みより、「誘惑に負けてサボる」という悩みのほうが絶対に多いのです。
「YDK」よりこの「サボロー」のほうが、はるかにデキない生徒の子をもつ親の心をとらえると思います。
ではなぜ、多くの塾がここを狙えないのか。
それは、「ウチは一人では勉強をサボってしまうような生徒のための塾です」と言い切ってしまうと、低レベルの生徒ばかり集まり、成績の少しいい子は来なくなってしまうのではないか?と思うからでしょう。
「家にいるとどうしてもサボってしまいますよね、だから夏期講習へ」というより「夏期講習で勉強のやり方を教えます」のほうが、立派なことをやっている感じがするからです。
なので、ここまで「振り切れ」たことが言えないのです。
しかし、個別指導の補習塾というのは、本来「デキない子」のためのものなのです。勉強が苦手な子のためのもの、です。
今から40年前、30年前に勉強の苦手な層に対して、学校の授業についていけず「落ちこぼれ」になったら公立高校に行けないよ、という危機感をあおり生徒を集めたところから始まっています。
それでも「個別指導の補習塾」は勉強が苦手な子、がメインターゲットなのはかわりありません。
そのターゲットに、「YDK」は確かに耳障りはいいですがやはりタテマエ、な感じです。ホンネで響くのは「サボローを1人みつけたら100人いると思え!」のほうだと思うわけです。