竹村義宏のフランチャイズBlog

フランチャイズ業界30年これまで50を超えるFCに携わった竹村のブログ。2015年5月FC2から引っ越し。

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「コロワイド牛角」は郊外大型店の出店へ!そしてオムニチャネルの話など

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おはようございます。 NYダウは1万6000ドル突破ですか…イエメン女史の発言の安心感というのは相当なものなんですね、竹村です。 今日はまずはこのニュースから。 「牛角」積極出店に転換 コロワイド、居酒屋苦戦で

従来は4人席を中心にした面積約120平方メートルの店舗が主力だったのに対し、6人席が多い同330平方メートルの店舗を主に出す。立地も駅前から郊外を中心にし、親子3代のファミリー層などを取り込む。大型店の月商は従来型の店舗の2倍以上の1600万円程度を見込んでいる。

これだけ読めば「安◯亭」のような店?大丈夫?とイメージする方もいると思いますが、昔もロードサイドの牛角というのは繁盛店があり(「今もあります)、この記事にあるとおり、坪数も倍だが売上の倍、というモデルはありますので、来年3月の千葉富津の店が「テスト店」ということはないですね。 竹村は今でもたまに牛角のFCオーナーと話す機会がありますが、やはり、半分くらいの方が、 牛角成功の後いくつかの外食FCに取り組んだけど、牛角を超えるものは無かった」 という趣旨のことをおっしゃいます。 焼き肉業態の場合は「調理はお客様」という店舗運営上の大きなメリットがまず大きい。料理の仕方で味がブレる、ということはないわけですから、接客に集中できる割合が大きい。 その昔牛角では、包丁を使うのはカットレモンだけ、という話があったくらいですから。 つまり、店舗が増えることによってスケールメリットが出て「良い肉が安く変える」という状況を作り、そこにメニュー開発の企画力が加われば、やはり「焼き肉」というのは飲食業態の中で頭ひとつ出た業態だと思います。子どもも好きですし、今の40代、50代は20年たっても、たまに焼き肉が食いたくなる世代でしょう。 なので記事にあるとおり6人テーブルで「三世代焼き肉」もありでしょう。 「今日はおばあちゃん年金が出たからみんなで焼き肉に行こう!」なんて感じでしょうか。 2万円くらいは使ってくれそうです。 「牛角」の昔話をし出したらキリがないので、そこらへんに興味がある方は、以前メルマガで連載していた「FCここだけの話」で書いてますので、お時間のあるときに是非。 FCここだけの話「牛角編」<メルマガ75号より かなり詳しく書いてます。 ただ、「牛角」ついて書いたらやはり、いちばん知ってもらいたいのはココなのです。 これが牛角の成功を支えた「核」の部分であり、ここから外食チェーンの流れが変わりました。 過去ブログからアーカイブで。 「牛角」パートナーズフォーラムの秘蔵映像を見よ! そのフォロー記事。 「牛角」における「アルバイトが主人公の店」の意味 続いてこの記事。 セブンについては先週、このブログで書きメルマガでも突っ込んで解説したので、簡単に。 セブンイレブン40周年 積極出店で飽和論に挑む やはり「今後の戦略」についての鈴木会長の次の発言がポイントでしょう。

鈴木会長が「次の10年」の成長の原動力とみているのが、急拡大するネット消費と実店舗を有機的に組み合わせる「オムニチャネル」戦略だ。ネット消費が広がり始めた00年前後にもコンビニが商品の受け取り拠点になるという期待が業界に高まった。実際はさほど浸透せずアマゾンジャパンなどネット専業の「独走」を許した経緯がある。

「オムニチャネル」 です。オムニはオムニバス、のオムニですから「あらゆるもの」という意味です。 EC(電子商取引)サイト、電子メール、ソーシャルメディアといったチャネル(顧客接点)と店舗をシームレスに統合し、どのチャネルでも顧客に同じ購買体験を提供しようという構想ですね。 例えばネットで発注した本はセブンの店舗に届き、夕飯の惣菜と一緒に宅配してもらう、なんてイメージです。 その「直近10年の最重要分野」を、鈴木会長のご子息、鈴木 康弘セブンネット社長が担当しているわけです。早期のこの分野で実績をつくらせた上で世襲人事でしょうか。 オムニチャネル時代のセブン&アイネット戦略 そして最後の最後に、積水ハウス会長の和田勇さんの「私の履歴書」について少しだけ。 一応毎日目を通してますが、サラリーマンが出世して大企業のTOPに昇っていくのは、小さい頃から変わり者でした、的創業者オーナーの物語とはまた違った「味」があります。 和田さんは営業職の「モーレツ・サラリーマン」なわけですが、目の前の仕事に向き合い必死に取り組んだらどんどん仕事が面白くなっていった、という感じが伝わってきます。 で、本日は「奥様との結婚から夫婦の話」なんですが、このライフスタイルが今の感覚でいえば少々あり得ない。 いくつか引用しますと、

むさ苦しい寮生活からも、そろそろ解放されたかった。~派手なことを嫌う、真面目で控えめなタイプの女性だ。好感が持てた。交際を始めることになるが、仕事中心の生活に変わりがない。とにかく時間がない。大阪で会って、そのまま名古屋にとんぼ返りで、また仕事。そんな私に彼女は不平をこぼすことはなかった。「この人なら……」と結婚を決意する。

完全に「仕事のため」に伴侶を選んでます。

営業所の部下など30人くらいが年賀の挨拶にわが家に集まる。当然、大宴会になる。妻は年末からお節料理の準備をし、年明け早々、酔っ払い相手にてんてこ舞い。そんな正月が20年近く続いた。

家族団らんの正月、なんて訪れません。

 淋(さび)しさから肉親の声を聞きたくなったこともあっただろう。子育てのこと、家事のこと、急用でなくてもいろいろ、妻は泉佐野の母親に電話で相談していたらしい。そのころは自宅に電話がないので近所の公衆の赤電話を使う。普段から十円玉をたくさん貯(た)めていたのを覚えている。

電話ぐらい買ってあげて欲しいところです。 和田さんの「モーレツ社員ぶり」はともかく、奥様の方に驚きますね。 これが「社長の妻」ならまぁ、これだけ夫の仕事のために尽くすのも分からないでもないですが、この時和田さんは普通のサラリーマンだったわけで。 記事によればこのご結婚が1969年ですが、1970年代当時はこうだったか?なんて自分の小学生時代を思い出しますが。。。 ここから約40年ですが、「女性のライフスタイル」は大きく変わったことに驚きます。 そもそも最初の結婚の仕方から今では想像できないでしょう。「「真面目で控えめで不満を言わない」性格と書かれてますが、そういう性格の方は今でもいますが、こうはなりません。 「男は外で仕事、女は家を守る」のが当たり前という時代だったのだ、と言ってしまえばそれまでですが。 この連載全般を通して感じることは、明らかに昔のほうが仕事が忙しく大変だった、ということです。日本人が「勤勉」だった時代ですね。高度成長期と低成長期の働き方の違い、について考えさせてくれる連載前半でした。 本日はこんなところで。 「人気ブログランキングに参加中! ワンクリックが励みになります。
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