バブル世代はセゾンの栄華をもっと語れ!という話
竹村義宏のフランチャイズBlog
こんにちは。
本日はひなまつり早めの帰宅で家呑みで! 竹村です。
昨年11月に亡くなった堤さんですが、先月末に「偲ぶ会」が行われたんですね。。。
堤清二氏が残したネタ 捜していたのは「新しさ」
この記事の見出しである「堤さんの残したネタ」は検証し学ぶ必要がある気がします。
(この記事自体にあまり内容はありませんが。)
セゾングループの栄枯盛衰は学ぶべき価値があると思います。
「枯」「衰」については、異母弟である堤義明への対抗心、それがインターコンチネンタルホテルやスキー場の大型M&A失敗を招いた、でいいんだと思いますが。
「栄」と「盛」については、再検証されていいと思います。
特に竹村と同世代、いわばバブル世代は元気だったセゾングループの栄華を体感してますので、あの「感覚」は思い出せるので語るべきです。
セゾングループは、高度経済成長の規格大量生産時代の「効率化」の中で、常にそこに埋もれないものを「新しさ」として追求していた気がします。
ファッションを中心に「ちょっと変な新しい流行」を提案したパルコ、逆に「質素で賢い消費を先取りしたブランド」を提案した無印良品。
無印が作った流れが今のセブンプレミアムを中心とするPB主流の消費につながっているわけです。
時は30年流れて、今度は高度消費社会としての「効率化」が進み、世の中似たモノ、似たサービスばかり。
「新しさ」がなければ、付加価値が生まれない気がします。
そしてその「新しさ」というのは「機能やサービスの向上」の先には無いことは、既に多くの人が気付き始めていると思います。
だからこそ今、
堤清二さんのセゾンに学べ
という気がするのです。
一大グループを率いる経営者と詩人・小説家(辻井喬)の二足の大わらじを履いていた堤さん。
その「ビジネス」と「文学」の間のネジレた部分にヒントがありますね。
回顧録で「経営者としての堤清二と、詩人・作家としての辻井喬のあいだにある"職業と感性の同一性障害とでも指摘すべきズレ」と自らを表現する堤さん。
そんな、
同一性障害的な「狂い」
みたいなところからしか「新しいもの」は生まれてこない気がします。
本日はこんなところで。